華氏451度のパクリチュール

この週末は(お金が無いかわりに)ちょっと時間があったので、久しぶりに映画を見ました。
数年前だったら、レンタル店に行ってDVDを借りてきたわけですが、P2P等で違法(?)ダウンロードをせずとも、多少のお金を払えばネットで視聴できるんですね。
お金を払わずとも(アップロードに問題はあるんでしょうが)、youtubeニコニコ動画にも、名作やカルト作品があがっています。まあ梅田望夫曰くロングテール云々という効果もあるので、一概に悪いことばかりでもないでしょうが。

今日観た映画は『未来世紀ブラジル
10年以上前に一度観映画なのですが、すっかり忘れていて、初見気分で楽しめました。当時はテリー・ギリアムを知らなかった僕ですが(モンティ・パイソンは知っていたけど)、さすがインテリコメディアンというか、非常にウィットに富んでいる。
『1984』のような管理社会・階級社会の構造をモチーフにしつつ、所々に笑いの要素もあって、娯楽映画としても楽しめます。少なくとも『1984』みたいに徹頭徹尾暗くない(笑)。
しかしながら、こういうある種「完成」された体制・価値観、完全な構造の中で生きる人民ってのも、ある意味で幸福なんじゃあないのかなあ、なんて最近思うのです。
[rakuten:guruguru2:10026715:detail]

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

一口に「自由」とか「幸せ」とか言っても、それはあくまで他者との比較の上に成り立つわけで、絶対的な価値基準はない。
働かなくていいぐらい財産があって、時間や社会的責任から「自由」だったとしても、「何もしなくていい」状態が楽しいか、幸せか、といえば一概には言えませんね。
逆もまたしかりで、例えば近世日本の農民が、確立された体制や身分制のなかで抑圧されて「不幸せ」だったかというと、決してそんなこともない(だから幸せだったとも言えませんが)。
要は「誰々より幸せか、自由か」という問題で、そこに対する矛盾や不満が社会思想として昇華して、ドラスティックな変革をもたらしたのが近代の歴史なんでしょうが、行き着くところまでいって、初めからすることが決っていて、もう絶対にひっくり返らないほどに権力・暴力・情報が集中して確立している社会であれば、生きていくのは結構「楽」なのかもしれない。
[rakuten:book:11904707:detail]

まあ、あんまり掘り下げて放言してるとポストモダン左派みたいな人に怒られそうなので、この辺で本題。


一億総表現時代なんて言われる昨今、表現に対して「パクり」なんて評価を受け手がつけたりします。
中には1から8,9まで既存作品を踏襲したような、あからさまなパクりもあるのですが、大体は言いがかりレベルの瑣末なものです。
オマージュやインスパイアーなんて言葉もありますが、ウラジーミル・プロップを参照にせずとも、物語の類型なんてものは有限な資源の組み合わせで、現代の創作物というのは大体において何らかの影響を受けているものです。 
そもそも、本当にオリジナル、真に独創的な表現なんていうものがありえるのでしょうか。

スタンリー・キューブリックアーサー・C・クラークと共に『2001年宇宙の旅』を製作した時に、こんなエピソードがあるそうです。
この二人が作品で表現しようとしたものは「科学的に定義された神」。つまり進化の極みまで達した知的生命体を映像化しようとしたのですが、キューブリックは「知的生命体」なるものを見たことがない。
試しにやってみればわかると思いますが、「見たことがないものを想像する」ということはできないんですよ。
例えば「宇宙人」を想像してみたとしても、それは自分が見た既存の宇宙人のイメージでしかなくて、まったく無知の状態から姿を思い浮かべることなんて不可能です。
仮に自分が未知なる「宇宙人」に遭遇したとして、それを他人に伝えようと思えば「タコみたいなやつだった」とか、「ヘビみたいな眼をして、子供のような手足だった」とか、既存のイメージに当てはめて伝える以外できないし、相手も想像できません。

そんなわけでキューブリックは試行錯誤のあげく「想像もつかないほどのものは、想像できないことが分かった」と言って、「科学的に定義された神=究極の進化を遂げた知的生命体」の映像化を断念したんですね。
だから、「進化の極みに達したのだから、肉体なんぞ超越して姿を持たない」なんて解釈の作品となったわけです。
[rakuten:book:13020192:detail]

以上のように、真の独創というものは厳密にはありえない。人間というのは、すでに知っていること以上のことは何も知ることができないし、それを想像することすらできない。想像できたとしても、自分以外誰も理解できないものになるはずです。
では、独創性とは一体何かというと、「既に私たちが知っているもの」を誰もが想像しなかった形にコラージュして、新しいものを作り出すことに他なりません。
竹熊健太郎いわく「『誰一人として考えなかった独創的な作品』などというものは、人類が滅亡するまでこの世には存在し得ない」というわけですから、創作者の皆さんは蒙昧な声に惑わされず、
 パクリ もとい、コラージュに勤しんでくださいね、っと。
そのために「ニコニ・コモンズ」なんてあるわけですから。

魔法昔話の研究  口承文芸学とは何か (講談社学術文庫)

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はじめての構造主義 (講談社現代新書)

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